• 蛇足十世―群鬼図


     

    ※「蛇足十世」は文学市場『さくさく56号』(2013年7月発行号)に掲載した作品をちょっとだけ修正したものです。

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  • 星離れ行き月を離れて

     

     関ヶ原創戦です。またしても吉川広家主従(笑)。昨日の今日でキャラ設定できなかったんで間に合わなかったのですが、来年はぜひ東軍で書きたいです。

     

     本作は「或る背信の渇き」と連動していますが、あちらを読まなくてもわかるように書いています。

     広家や作右衛門の人物紹介は、

    「光のどけき春の日に~広家の忠臣~/或る背信の渇き」

    にあります。

     

     

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  • 野の春に

     

     託基皇女(たきのひめみこ)が伊勢の斎宮(いつきのみや)を退出され京(みやこ)へ戻った時、辺りは淡い緑をそよ風に揺らしていた。

     退出はまったく思いがけないことで、皇女自身もどうしたことかわからないでいる。伊勢に在って身も心も清らに過ごしていたというのに、どういうわけか急に別の斎宮が立てられ、京へ戻されたのだ。そのようなわけだから、何となく人と会うのが億劫で、また習慣が抜け切れないのか、口に入れるものもひかえめであった。

     

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  • 信政の抜け雀

     

    ※この作品は文学市場「さくさく51号」(2011年11月発行号)掲載の史間あかし作「信政の抜け雀」に修正を加えたものです。

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  • ミズハノメ

     

    「奈良の都でも、八重の桜が咲き誇っているよ」

     

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  • 「八月のラヂオ」2 ストロベリーグレーズ

     

    >「1 深海魚

     

     

     ストロベリーグレーズを買うの。真っ赤なストロベリーグレーズ。

     イチゴタルトの中、ドーナツのフィリング、フルーツソース。

     あなたがいるだけで、世界は赤やピンク。鮮やかに染まる。

     だから買うの。ストロベリーグレーズを買うの。

     

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  • 花の行く末・後編

     

    花の行く末・前編
     

    (前編のあらすじ)

     十四郎は、叶わぬ想いを断ち切り江戸へ発とうとする。

    「十四郎。江戸に発つことを、どうして俺に言わなかった」「お前こそ、私になぜ縁談のことを打ち明けなかったのだ、兵馬」――いや、もういいのだ。衣代の家へ婿に行く兵馬に、十四郎はいずれ諦められるだろうと告げる。

     そんな彼に、兵馬は、明朝六つ半、旅立つ前に道場に来るようにと告げた。

     

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  • 花の行く末・前編

     

     雪が解け、背振(せふり)の山から吹き降ろす風が柔らかくなると、十四郎(とうしろう)の胸の内はかき回される。十年前、十三の春に目に焼き付けたあの景色が、いやでも思い出されるからだ。

     室見川に身を任せ、さらさらと流れていった、あの白い連なりを。

     

     それを見つめていた、娘の愛らしい姿を。

     

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  • 光のどけき春の日に~広家の忠臣~/或る背信の渇き

     

    (注)この短編は史間による創作戦国です。言い訳は前回したので以下略(ぉぃ

     

     戦国武将、そして初代岩国領主・吉川広家と、彼に従って殉死することを許された唯一の家臣・森脇作右衛門の話「光のどけき春の日に~広家の忠臣~」と、関ヶ原前後の広家の葛藤を描いた「或る背信の渇き」を掲載しています。
     大谷吉継と湯浅隆貞の最期をつづった創戦第1弾「緋色に似た」も、よろしければどうぞ♪

     

    【主な登場人物】

     

    吉川広家(きっかわ ひろいえ)…1561年12月~1625年10月。毛利元春の3男。岩国初代領主。関ヶ原では主家に背き、家康に内通して毛利本家の所領安堵を約束させる。しかし、結果毛利120万石は召し上げられ、周防・長門の二国に封ぜられた。以降、吉川家は毛利御一門から「家臣」とされる。幼い頃は「うつけ」と呼ばれ両親を困らせたが、父元春は、初め隠居後の相手として広家を欲したほどかわいがっていた。毛利輝元が没した5か月後に病死。

     

    森脇作右衛門(もりわき さくえもん)…または清長入道竹隠。広家の家臣。史料における初見は朝鮮出兵だが、森脇一族は吉川家の譜代であった。関ヶ原の後、家康へ嘆願する広家がいざという時(切腹)の介錯人として指名。その際、介錯を引き受ける代わりに殉死の許しを乞うた。広家は殉死を好まなかったが、森脇にだけはこれを許す。後、広家が病没した際、唯一これに従って殉死した。作者は森脇を広家の近習ではなかったかと推測している(しかも役が初陣と推察して若い設定)。

     

    安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)…1539年?~1600年10月1日。出自に関しては諸説ある。毛利家家臣、豊臣家近臣として、数々の戦場で調略などを行った僧侶。関ヶ原における西軍決起の中心人物の一人であり、戦後は一時逃亡するも捕縛され六条河原にて斬首された。京都建仁寺に首塚がある。

     

    毛利輝元(もうり てるもと)…1553年~1625年。初代萩藩主(代数は秀就から数える)。豊臣の五大老の一人で、関ヶ原では総大将を務めた。石田三成ら西軍壊滅後は、家康に申し出て大坂城を脱する。広家の談判により御家断絶は免れたが、120万石あった所領は周防・長門の37万石に減封された。慶長4年には、広家が他の家臣と不仲であったのを窘め、仲裁するような動きも見られる。

     

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  • この手かさね

     

     わたくしは、ほんのすこぅしだけ、人ではございませぬ。近ごろになって、それがよぅくわかったのでございます。

     

     紅葉も見ずに床に伏していると、あれこれと考えてしまいますので。気晴らしに、わたくしのことなど、お話したく思います。

     

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