「音楽祭は雷鳴と共に」12 破壊の音楽

 

「いや……」

 

 セヴランは一歩退き、額に手を当てる。

「そんなに簡単に、答えを出さなくていいんだ。よく考えて、そう、音楽大祭が終わった後でも。ボクは急がないから」

「ううん。今、返事する。今じゃないと」

 リジィは首を振る。布を握り締め、セヴランのタイの辺りを凝視しながら、慎重に言葉を選んでいる。

 

 返事。

 

 リジィが所持している<見捨てられた楽譜>を譲ってほしいと言った、その返事だということはわかっていた。そして、その答えが「ナイン(いいえ)」だということも。眼前の正直な娘から、それを聞くのが怖い。突き離されることが恐ろしい。彼女はただ言いにくいことを言おうとしているだけだが、セヴランにはそれ以上の覚悟が必要だった。覚悟しなければならない事情があった。

「リジィ」

 息をのむ。

「本当に、今度でいいんだ」

「あのね、セヴラン」

「いいって言ってるんだよ!」

「――!?」

 リジィの体がびくりと跳ねる。それで自分が大声を上げていることに気づいた。周囲の視線がこちらへ注がれる。エルザ=マリアの娘と漆黒のガイガーが並んでいるのを見つけ、人が集まってきた。

「久しぶりだね、セヴラン君」

 宴の主が、割れた人垣の向こうから姿を現す。ヨハン・ヨーゼフ・シフ卿は二人の側まで歩いて行き、まずはセヴランの手を取った。目尻に二本深いしわがある、白髪を短く切りそろえた紳士だ。音楽家というよりは司祭のような雰囲気がある。それはおそらくシフ一族が、代々女神アデライーデを最も崇拝し、聖職者とまったく同じ作法で毎日の祈りを重ねているため、心身の行いが人柄として表れているせいだろう。ヴィンター王朝時代の曲を除けば、ほとんどがシフ家の手によるものだ。

「招待状を送りはしたが、まさか本当に来てくれるとは。向こうで少し話をしないか。君にアドバイスをもらいたいスコアがあってね。表現方法を迷っているんだ。私はオルジュしか弾かないので、ぜひガイガーの感性で見てほしい」

「――そ、そう」

 セヴランは一瞬ためらったが、すぐに逃げる良い口実になると判断した。何か言いたそうにしているリジィに「残念だけど」と告げて背を向けようとする。だが、シフ卿は意外なことを続けた。

「ゲルル嬢。君も一緒にいかがかな」

「え?」

「私は『グラード・ユープリヒ』しか購読していないのだが、『ツァイト・ロース』の紙面ではずいぶんと話題になっているようだね。どうだろう、ぜひ私にもエルザ=マリアの思い出話をしてくれないか」

「あ、あの」

 リジィは答えに詰まる。シフ卿が興味を持っているのは亡き母だけなのだと言われたのだ。これまで何度も「そういった空気」を味わってきた。

 ――シフ卿の誘いを断れば、楽団の評判にかかわる。

 オトはそう言っていた。リジィにはよくわからないが、グレーテルが反論しなかったので、おそらくその通りなのだろう。アレス・ムジクのためなら。何より、このままセヴランと別れては返答の機会を失ってしまう。シフ卿に悪意があるわけではないのだと言い聞かせて、リジィはうなずこうとした。

 そこに。

「リーゼロッテ・ゲルル」

 シフ卿の後ろから長身の男が現れた。

「我が君が、貴女をぜひ招待したいと言っている」

 イヴァン・ラサークは言う。主のオト同様、グラードの言葉をきれいに発音する。鮮血の瞳は険しい雰囲気を漂わせ、彼の機嫌が決していいものではないとわかった。

「し、招待って?」

 先ほど「また会おう」と言って去った第6王子の意図が組めずに、リジィは首を傾げる。この後に予定していた会食を急きょキャンセルしたこと、帝都に滞在中はグラード王家の離宮をあてがわれていることをイヴァンは簡潔に説明した。オトは、リジィに夕食の相手を望んでいると。

「離宮はエステン通りの先にある。今晩は泊まっていけばいい」

「でも」

「我が君は馬車でお待ちだ」

「――ぁ」

 イヴァンの長い腕がリジィを捕らえる。

「漆黒のガイガー、貴様も共に来い」

「は?」

「シフ卿、申し訳ないが」

「……ええ。ダウデルト王家の方のご意向であれば、仕方がありません。私ならば、いつでも機会がありますから」

 温厚な紳士は微笑を湛えながら、眉に不快な感情を宿した。グラード王家の賓客の機嫌を損ねては、音楽大祭の失敗ひいては外交問題を生じさせることになる。

 シフ卿の視線を跳ね除けるように、王子の従者は背を向け二人を会場の外へ押し出した。

 

     *

 

 エステン通りの貴族屋敷群を抜け、音楽の森の手前で南へ折れた。10分も行かないうちに、アンナ=バルバラ皇妃の夏の離宮「野薔薇(ハイデンルースライン)」が見えてくる。その名の通り初夏に庭が野薔薇でいっぱいになるのだが、11月の今はうら寂しい。

 離宮の中心には真白い3階建てがあり、それを5つの棟が囲んでいる。5弁に見立てた各棟と中心の建物は廊下でつながっており、真上から見ると野薔薇を模しているとわかるそうだ。

「この離宮、盛大な皮肉だと思わないか」

 オトは苦笑した。

 西側の1棟の奥、小さな高窓から月光が注ぎ込んでいる。白い石造りの壁にはほとんど装飾がなく、蝋燭の火が並んで揺れている。

「適当に座れ」

 戸惑うリジィに、王子は左隣の椅子を指す。脚が極めて低い長椅子はビロード張りで、ふちに金の刺繍が施されていた。それが3つ、奥座にあるオトの席をはさんでコの字を描いている。リジィはすすめられるまま腰を下ろした。椅子の上には、綿がたっぷりと詰まったクッションが敷き詰められている。見たことのない、ツタが複雑に絡まったような模様が縫い込まれていた。

「着替えたのか」

「う、うん」

 制服姿に戻ったリジィに、オトは短く息をつく。長椅子に寝そべり腕を伸ばした。

「アリヤナの残り香が漂ってくる」

 栗色の髪に指を絡ませる。同時に突き刺さる怒気に、王子はまた苦笑した。

「お前も座ったらどうだ、漆黒のガイガー」

「どういうつもり」

 セヴランは椅子に座り脚を組み、リジィの髪を放さないオトを睨む。

「礼だ」

 オトはそれを楽しんでいるようだった。

「リジィには2度世話になった。ショコラトルテと晩餐会に付き合ってもらったからな。俺の国の料理を馳走しようと思った。俺はリジィを気に入っている」

 そう睨むなよ、と褐色の青年は言う。

「それにしても、リジィがあれほど食うとは思わなかった! 晩餐会であれだけ腹に入れておきながら、肉の串焼きを2人前以上も食いやがって」

「だ、だって。美味しかったんだもん」

 豪快に切り分けた羊の肉を鉄串に刺して、窯でじっくりと焼き上げた料理。パプリカや芋も同じく串焼きにされ、そのまま皿に盛られた。テーブルはなく絨毯の上に配膳され、リジィたちはオトに教えられながら、肉を手でむしり取りかぶりついた。肉や野菜にはスパイスが数種すり込まれ、それらは舌先を軽く痺れさせると同時に、肉の甘味をより引き立てた。癖になる味というのは、こういう料理を指すのだろう。

「リジィの口に合ったようだぞ、イヴァン」

 オトは扉の横に立つ従者に言う。

「えっ。あの料理ってラサークさんが作ったの?」

「そうだ」

「え、え~」

「そんなに驚くことか」

「だって。ラサークさんがキッチンに立ってる姿って、想像できない……」

 異国の軍服に腰の二丁拳銃。いつも不機嫌そうな顔をしている鮮血の瞳の男が、エプロンをして肉を串に刺し、窯の火を調節している。滑稽というより、ぞっとするような光景だ。

「そんなことはない。飯くらい俺も作る」

「オトが!?」

「戦士の一族に生まれた者は、戦場におけるあらゆる可能性を想定する。一人で火もおこせない奴に、ダウデルトを名乗る資格はない」

 オトの眉間に影が生じた。先ほど彼から聞かされたことが、リジィの脳裏に焼きついている。兄弟同士で殺し合う。オトは兄王ユリアーンを暗に批判したのではないか。

「それで。盛大な皮肉ってどういうこと」

 セヴランはティーカップを持ち上げる。ミルクが注がれた紅茶からはシナモンの香りがした。

「ああ」

 紅茶にたっぷりと砂糖を加えていたオトは、自らふった話題を思い出したようだ。

「この離宮の構造、まるで我がヒットルフ王国の縮図のようだと思わないか」

「5棟がキミたち兄弟ってこと」

「花が枯れた庭に囲まれているところも、らしい」

「それで。そんなキミたちのことを国民はどう思っているの」

「セヴラン?」

「リジィ、彼らは侵略者だよ。たくさんの人を殺して国を乗っ取った、野蛮な民族。そんな彼らが、代々、互いに王座を巡り血で血を洗っているのを見て、国民の心情はどうなんだろうねって言ったの」

「貴様、我が君の御前で。口を慎め」

「いい、言わせておけ」

 イヴァンが腰の銃に手をかけるのを、オトが制する。

「そうは言うけどな、漆黒の。原因はグラードにあるんだぜ」

 王子は長椅子の上であぐらをかいた。

「昔、ヴィンター王国を中心に西にグラード王国、北にオークランス王国、南にブルーメ王国があった。グラード軍がヴィンター王国へ進行を開始したのが、今から305年前。蒸気動力が発明される前の時代だ。騎馬隊の数と機動力に勝るグラード王国は、ブルーメと同盟を結び5年戦争を続けるのに十分な弾薬も確保していた。その後のことは、お前らも学校で習っただろう?」

「うん……」

 リジィは、紅茶が吸い取った燭台の灯をぼんやりと見つめる。胸が締めつけられる思いだった。グラード王国によるヴィンター王国征服戦争。そう聞いて思い出すのは、<地下牢>のラオムで亡くなった歌姫ツェツィーリアや、彼女に別れを告げられなかったバーナー神父のことだ。ダウデルト家を非難したセヴランに、オトは「お前たちも同じ征服者だ」と突き返したのだろう。

「なぁ、リジィ。なぜブルーメはグラードと手を結んだと思う?」

「え?」

「西の小国だったグラードよりも、大陸中央に鎮座する大国と組むほうがいいと思わないか」

「そ、そうなの、かな」

「グラードの建国王ヘルバート1世は、ブルーメの王族――王の弟に約束したんだよ。ヴィンター王国を征服した後で独立を手伝うってね」

 代わりにセヴランが答える。

「ああ。グラード王国は自国の領土を広げた後、今度はブルーメ王国を二分する戦争に手を貸した。そしてできたのがハスロ王国だ。とはいっても、180年前に革命が起こって今は臣下のレッチェルト家が統治している。これもまた皮肉だな」

 話題が逸れた、とオトは言った。

「ハスロ建国のどさくさに乗じて、激しい民族闘争、いや実際には迫害が起こった。大陸の南に暮らしていた民族、ブルーメもしくはハスロの反対勢力、そういった決して少なくはない者たちは大陸の西側から北へと逃れ、フォクト山脈の向こう側に新天地を求めた。そうして、北の部族と交わってできた8の小国は、60年前にイングラム共和国となった。だが、我がダウデルト家は違った」

 オトはカップを持ち上げる。その口端は獰猛に歪んでいた。

「戦士の一族として、各地の王族に飼われ転々としながら血を繋いできたのを深く反省した。北の端に追いやられ、この痩せた土地で何者でもなくなることを恐れた。そして、思いついた。オークランス王国を攻め取ることを」

 紅茶を干した王子は、息をのんで話を聞くリジィに微笑する。剣呑な雰囲気は消え去っていた。

「共和国がヒットルフとハスロにだけ国交を開いている理由は、察したか?」

「オト……」

「自分たちを追い出した存在を、今も認めていないってことだ。そう、お前たちが俺たちを非難する道理はどこにもない」

「ずいぶんとひねくれているね」

 セヴランは眉根を寄せる。

「きれいごとばかり並べるよりはマシだろ、漆黒の」

「……」

 リジィはうつむく。オトの考えには、素直にうなずけない。かといって、リジィには反論するだけの想いがなかった。これまで、そのようなことに考えを巡らせたことがなかったからだ。

「あのね、オト」

「なんだ?」

「オトは、グラード王国のことが嫌いなの?」

「は?」

 王子は予想していなかった質問に目を丸くする。

「好きか、嫌いか、か。考えたことねぇな。利用価値はあると思っているが、ダウデルトが国を得る機会を与えられたと考えれば、建国王には感謝するべきか」

「じゃあ、来年の音楽大祭にも来る?」

「はあ? お前、さっきから何が言いたい」

「うん。あのね。来年はもっとたくさん、美味しいトルテのお店を案内したいな~って。それに、オトは音楽に興味がないって言ったけど、レイグラードにはステキな楽団員がたくさんいるんだよ。今日のレザンスの舞台だって、来年はもっと楽しくなるよ。だから、また一緒に遊ぼう?」

「遊ぶって――は!」

 野薔薇の花弁の部屋にオトの笑声が響く。

「おま、おまえ……っ。もしかして、俺を気遣ったつもりか? 俺が孤独で、かわいそうだろうからって? 兄に命を狙われるのが不憫だって?」

「オト、あの」

「笑わせるな」

「……!」

 静かな声音は、研ぎ澄まされた刃のように突き刺さった。

「いい加減にしてくれる。こんな男を構ってやる必要はないよ、リジィ。帰ろう――」

 腰を浮かせかけたガイガーは、銃口が己に向けられていることを知る。

「我が君のお許しなく席を立つな」

「いい度胸だね、キミ。ボクにそんなものが通用すると思っているの」

「……?」

 イヴァンはすぐ側に“何か”が迫っているのを察知した。察知したが、その正体がわからない。何も見えない。銃を手にした両腕は下ろさずに、そっと左へ視線を流す。

(影、か……?)

 蝋燭の灯の動きとは明らかに違う、ツタが伸びてきたような影の気配を感じた。

「やめておけ。お前の敵う相手じゃねぇよ」

 オトは従者に銃を下ろすように命じる。

「このまま立ち去るのなら、お前はともかくリジィは無事では済まないぜ」

「脅してるつもり」

「脅し? はっ、そう思うか。この離宮を囲んでいるのは?」

「ヒットルフ軍」

「そうだ。ダウデルト家の男子は全員が軍に所属する。当然、帝国の護衛など必要ない。グラード帝国の関係者は、お前たちだけだ。つまり、俺が“うっかり”お前たちを殺しちまっても、シラを切り通せる。レイグラード最高のガイガーと“歌えない歌姫”は、大事な音楽大祭を前に行方不明。新聞記事はそうかき立てるだろうな。それとも、駆け落ちのほうがいいか?」

 紅玉の双眸が、セヴランに着席をうながす。ガイガーは苦い顔のままそれに従った。

「漆黒のガイガー、<楽団使い>。お前をここへ招いたのは、何もリジィのついでじゃねぇ」

「どういうこと」

 

「『破壊者(フェアニヒター)』について、お前はどれほど知っている?」

 

「……!?」

 

 セヴランの表情が凍りつく。

「とぼけるなよ。俺はすでに、それが“どういう存在なのか”を知っている。その上で、お前に訊ねている」

「それを、ボクに訊いてどうするの」

「そうだな。強いて理由をあげるならば、俺はお前にも興味があるからだ」

 オトはガイガーを指さした。

「お前の、その瞳の色。暗青灰色の。どこの生まれだ?」

「……そういう質問には、一切答えないことにしているから」

 嘘は言っていない。音楽協会との契約時に、名前以外の情報を提供しないという条件をのませている。

「話を戻すぜ」

 王子は端から答えなど求めていないようだった。

「グラード帝国では、世界を動かす7つの音が密かに受け継がれてきた。ヴィンター王朝の遺産だ」

「たしかに、そういう“お伽噺”があることは、耳にしているけれど」

「お伽噺、お伽噺ねぇ」

 オトは喉を鳴らした。

「お前たちは気にもしないだろうが、グラード帝国以外の国々でも、ヴィンター王朝期の音楽については、研究が進んでいる。特に、国歌」

「国歌って、グラード帝国の?」

 リジィは目を丸くする。

「そうだ。『我が魂はヘルバート王と共に』。その一節にこうある。“地に眠りし7つの音色の守護者とならん”――なぜ建国王の名を掲げ、歌う必要があったんだろうな? そして、なぜ、偉大なる音楽家の曲が国歌になっているんだろうな」

 鷹の王子の鋭い眼光が、セヴランを捕えた。

「ああ、答えなくていいぜ。俺はこう考えている。建国王とシュトレーメルの間に、何らかの盟約が交わされた」

「何を言ってるの」

 セヴランは目を伏せる。

「シュトレーメルとヘルバート王が同じ時代を生きてるって、そんなわけないよ」

「そ、そうだよ。オト」

 王子はきっと勘違いしているのだと、リジィは思った。

「シュトレーメルさんは、600年も前の人だよ?」

 建国王が生きた時代とは、300年もの隔たりがある。

「――そうだよなぁ」

 オトはにやにやとしながら、リジィを振り返った。

「だが、帝国国歌に注目しているのは、何もヒットルフだけじゃねぇ。それと、こちらには交渉材料がある」

 オトは立ち上がり、リジィとセヴランの間をゆっくりと歩いて扉へと向かう。

「7つの音のうちの1曲を、我が国が手に入れた」

「!?」

「セヴラン、顔に出ているぜ」

 振り返り、王子は獰猛な笑みを向ける。

 

「部屋を用意してある。今晩はくつろぐといい」

 

 そう言って、部屋を出て行った。

 

     *

 

「あ――!! 見、え、ねぇ!!」

 

 塀に拳を叩きつけ、カルヴァは声を荒げた。

「ここに発明家少尉がいるのは、わかってんのに。ちくしょう!」

「しー! しー!」

 エルヴィンは丸い体を押しつけるようにして、カルヴァを制止しにかかる。

「先輩ぃ……騒いだら、人が来ちゃいますよ」

「あー?」

 ツァイト・ロース社の記者は後輩を睨みつけた。月は厚い雲に隠れ、11月の夜気は厚手のコートを身に着けていても震えるほどだ。

「そうだ、おい、クソ坊っちゃん」

「エルヴィンです」

「お前の親父に頼んで、ここ取材できないか」

「む、むちゃ言わないでくださいよ。大衆紙の社長の力じゃ、どうにもならないですって」

「ち、使えねぇ親父だな」

「……あの、先輩。一応、先輩は雇われている身分だと思うんですけど」

「クラウス・シリー少尉の突然の異動。行き先は、よりによって参謀局だ。それなのに、どこも大々的に発表しない。それどころか、発明家様が表に顔を出すことがなくなった。怪しい、思いっきり怪しい」

 レイグラードの北北西にある、町はずれの陸軍参謀本部。赤煉瓦の建物は高い塀の向こうにあって、カルヴァの立つ位置からは様子をうかがい知ることはできなかった。表へ回れば衛兵が詰めているし、この塀の向こう側も軍人だらけだろう。

「こうなったら、仕方ないか」

 記者は、コートの内側に重ねた質のいい仕立てのジャケットから、革のタバコケースを取り出した。マッチをすり、火をつける。

「そうですよ。諦めて会社に帰りましょう」

 エルヴィンがうんうんとうなずく。

 

「は? 何言ってんだ。忍び込むんだよ」

 

「え……ええ!?」

 

 塀に背を向け歩き出したカルヴァを、後輩は慌てて追う。

「ま、待ってください。どこに? どこから忍び込むんですか?」

「うるせー。黙ってついてくりゃいいんだよ」

 カルヴァはエルヴィンの歩幅など気にすることなく、迷いのない足取りで先へと進んでいった。

 

 

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グラード帝国国歌『我が魂はヘルバート王と共に』